古都・台南の味わい深い風景【台湾②】
≪2019年春 台湾の記事です≫
前回の記事で台南に到着した続きです。
台湾では、お祝いやお供え関係の品物を街中の至る所で発見します
台南消防署の建物は、日本統治時代に建てられたもので、今も大切に使われています
府中街は、大通りから一本入ったところにあるなんともいい感じのエリア
雑貨屋さんで手作り石鹸を購入。お店のお姉さんが丹精込めて作っているとのこと。こういうのにやたらと癒しを感じます(疲れてる?)
府中街の少し奥まったところにあるお寺は個人的お気に入りスポット
流れる読経とお線香のかおりがなんとも言えない雰囲気で、台湾を感じます。
地元の老舗「福記肉圓」のバーワンで小腹を満たします。
ちょっとした街角の風景が味わい深い台南
↑ 幼稚園
ブループリント カルチャー&クリエイティブパークは、比較的新しめのオシャレエリア。カフェや雑貨屋さんなど、写真映えするスポットが集まっています
ライトアップもいい感じです。
次回は、夜の台南を散策します。
祖母が他界した話/祖母からの手紙
母方の祖母が亡くなった。
腰が曲がり、ヨボヨボではあったものの、特段悪いところもなく
ある日、突然のくも膜下出血
その後は、あっという間だった。
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青春時代は、戦争真っ只中
「アメリカは敵」だった時代から、外国語に密かに憧れを抱き、世界中を旅することを夢見た祖母
そして、真逆のタイプの母親から、この娘
親の心配もよそに、次から次へと、単身よくわからん国へ行く。
「本当に心配だから、もういい加減大人しくして」
そんな親心も虚しく響いた。
いつの日か諦めた母は、「二代後になって、おばあちゃんの夢が叶った」のだと、ため息まじりに苦笑いをした。
ドイツのノイシュバンシュタイン城のカレンダーは、祖父母の家のトイレに今も飾ってある
登山に畑に絵画にお花。水泳なんかもやっていた気がする。
祖父が存命で元気な頃は、夫婦揃って海外旅行
幼い頃の自分には、そんな祖父母が眩しく見えたものだ。
「これが外国のお金だよ」と、持ち帰った1セントコインを小さな手のひらにのせてもらったのを、今も覚えている。
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そんな祖母は、私が幼稚園に上がった頃から社会人になった後も、転勤先まで葉書をくれた。
小学校低学年の頃まではひらがなの大きな文字で、高学年になる頃には、徐々に漢字を混ぜた大人向けの文章へ移り変わっていった。
母曰く、田舎の農家出身の祖母にとって、葉書を送ることには特別な思い入れがあったのだと。
祖母からの手紙と絵葉書の数々
十数年前、私の就職が決まり、来春には実家を出るという冬の、祖母からの手紙を見つけた。
そこには、新たな門出を祝う文章とともに、祖母の人生が綴られていた。
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私は昭和二十七年の二月、主人と見合いの為、旭川へ出ました。
そして四月結婚式
◯◯(私の母)に、お母さん大した度胸だね‥と言われました。
私は、どんな人生が待ち受けていても、きっと、素晴らしい人生にしようと思っていました。
五十数年、主人は大きな大きな人でした。
幸せでした。
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しなやかで強い心と体を持ち、天寿を全うした祖母。
その人生は決して真っ直ぐなものではなく、数々の思いを飲み込んできたことだろう。
孫娘たちの手によって施された最期のお化粧はとても美しく、まるで穏やかに眠っているようだった。
たとえ肉体がこの世からなくなっても、遠い海の向こうへの憧れの心や、彼女が生きた証は、ここに確かに受け継がれている。
台北から台南まで新幹線に乗る【台湾①】
≪2019年春 台湾の記事です≫
この時期恒例の台湾ぶらり旅です。
この頃は、新千歳(札幌)を木曜の夜出発し、日曜の夜に戻る便がありよく利用していました。片道13,000円くらい。みんなが働いてるときに出る旅って、どうしてこんなに楽しいんでしょうかねぇ~(謎の優越感)
桃園空港のセブンで買ったおやつを摘まみながら台北市内へバスで向かいます。
空港からのリムジンバスでも、悠遊カード(EasyCard)が使えます。
台北のバスターミナル。深夜ですが治安が悪い感じはありません。
↑ 台北駅裏のバックパッカー宿 FlipFlopHostelは深夜着用として重宝しています。
↑ 台湾のコンビニでおでんとか卵とかソーセージを買い食いするのが至福
台北の地下街。朝なので閉まっていますが、服や雑貨、マッサージ店等も充実しています
雙連駅2番出口を出てすぐの朝市は、ローカルな雰囲気満点です
↑ 世紀豆漿というお店で豆漿(ドウジャン)と大根餅
豆漿は豆乳スープのような優しい味の食べ物で、ふるふるに浸った揚げパン?やネギが入っています。テーブルに備え付けのソースをかけると美味しい。別売りの揚げパンを追加してもいいみたいですね。
この時食べたのが鹹豆漿(シェントウジャン)というしょっぱいもの。
この他、甜豆漿(ティエントウジャン)という甘いのもあるみたいです。
↑ 山盛りパイン
↑ 台北駅のオブジェ
↑ 台北駅1階のホール。ここに来ると台北に来たなぁと感じてテンションあがります。この周りにお弁当屋さんやお土産屋さんが充実しています。
KKdayというサイトから予約していた新幹線の割引チケットを引き換えました。
外国人向けの割引チケットがいろいろあるみたいです。
↑ 台湾の新幹線は日本製
昔仕事で台湾に来た時、現地の取引先の方々から、日本統治時代に作った鉄道や橋などのインフラに現地の人たちはみんな感謝しているという話を聞き感動しました。
日本人として、先人たちに恥じないような振る舞いをしたいものですね。
↑ 暑い国に来ると、飲み物が充実していて嬉しい
田園風景の中、新幹線に揺られること1時間半
新幹線の台南駅に到着しました。
ピカピカの近代的な駅で、テイクアウトのお店やお土産屋さんが並びます。
新幹線の台南駅(高鐵台南)は台南中心部から遠く、この駅に接続している台鐵の沙崙駅から乗り換えし、台鐵の台南駅に向かいます。
この辺りで道に迷って困っていたところ、駅員さんが来て親切に教えてくれました。
↑ 台鐵はなかなか味のあるローカル線
↑ 台鐵の台南駅。天井の骨組みやカラフルな電光掲示板が旅情を誘います
台北からわずか2時間弱、まるでタイムスリップしてきたような感覚になります。
どこか懐かしいような、古き良き風景の残る台湾の古都・台南を散策します。
Peach座席指定の謎について
このところ、飛行機はもっぱらPeachを利用しています。
↑ ガラガラ状態の新千歳空港(2021/4)
↑ カルビーの揚げたてポテチは絶品なので、新千歳を利用したら是非食べてほしい!
北の大地の玄関口・新千歳空港には、エアアジアジャパン、バニラエア、春秋航空等々LCCが数多く就航していたものですが、今ではすっかりPeachに取って代わられた様子(というか実質的な生き残りがPeachだけ?)
↑ ガラガラ状態のセントレア(2021/7)
↑ 国際線は軒並み欠航。異様な光景です
とは言え、このご時世。言うほど乗っているわけでもないのですが、最近気づいたことが。
Peachは一番安い料金を選ぶと、当日のチェックイン時に自動で席が割り振られるシステム
航空券購入時の画面を見ても、通路側や真ん中が一番安く、窓際指定は数百円程度の別料金がかかることが分かります。
飛行機に乗る機会が少なくなった今日この頃、せっかく乗るなら景色を楽しみたいので、この数百円を支払って窓際を選ぶようにしているのですが。
行きが昼間、帰りが夜とかだと、帰りは大方熟睡しているし、景色が見える往路分のみ座席指定という風に買っていたところ・・・・
どうも、往復のうちいずれかを窓際指定にすると、指定していない方の便でも窓際を優先して振り分けしてくれている感があります(3回連続くらいで窓際になった)。
その座席指定していない便は、まぁまぁな混み具合で、座席指定していなければ通路側になりそうなものなのですが。
↑ 関空の姿がくっきり
↑ 飛行機の窓から見る雲の形が好き
単純に座席指定していない人の割合が高く、自動割り振りしていったら有料の窓際が余るということなのかもしれませんが、往復どちらかを支払いしているお客さんを優先して割り振っているのだとしたら、さすが日本の航空会社の配慮!と思ってしまいます。
海外の航空会社は、フルサービスのレガシーキャリアでさえ、座席指定させてくれないところもあるくらいですから・・・・
このあたりの仕組みをご存じの方がいらっしゃいましたら、是非コメントお待ちしています。
↑ ぐっとくるPeach機内誌のコピー
世界の常識が変わってもなお、変わらないものがある。
時代が移り変わっても、自分の五感で感じるリアルは大切にしたいものです。
ザグレブ 夜の治安/夜のザグレブ街歩き【クロアチア④】
≪2014年冬 クロアチアの記事です≫
本来であればザグレブは2泊の予定でしたが、サラエボからの飛行機が欠航&遅延したため、実質今晩が唯一の滞在時間になってしまいました。
↑ ザグレブ中心部のスタジオ・カイロスは、優しいオーナーの計らいで1泊分の当日キャンセルを無料にしてくれました。感謝!
ザグレブはヨーロッパ屈指の治安のよい街ということで、とっぷり日も暮れてしまいましたが、中心部をお散歩してみます。
ヨーロッパ諸国は年内いっぱいクリスマスモード
夜ですが、道行く人たちもごく一般のヨーロッパ人という感じで、治安の悪さはありません。
どこを見てもいい感じの街です
聖マルコ教会は、赤いモザイク屋根が可愛い
↑ ケーブルカー?
↑ アラブっぽいなにか
↑ すてきなホテル
↑ 銀行もすてき
ザグレブではたくさんお買い物するはずだったのですが、時間が遅く軒並み閉店していました・・・泣
クリスマスの特設会場。イルミネーションや可愛い出店が
小腹が空いたので買い食いしちゃいます。
ケバブやさんのポテトとミックスジュース。揚げたてで美味しい!
BBQソースをすすめてくれた店員のお兄さんが可愛かったです。
翌朝の早朝、オーナーの送迎でザグレブ空港に向かいます。来た時と同様、ドイツのフランクフルトを経由して帰国
↓ リツィタルはザグレブ土産の定番。赤いハートの中身はジンジャークッキー(※食べられません)
オーナーとは、サラエボにスキーをしに行ったとか、将来は田舎に移り住んで野菜を作って暮らしたいとか、「日本人は仕事が大好きなんだよね、君もそうなんでしょ?」とか、いろいろ話せて面白かったです。
早朝便に向けて夜に事前チェックインをやってくれたり、本当に親切にしてもらいました。朝ごはんに持たせてくれたサンドイッチもとても美味しかった。
ザグレブの滞在は一瞬でしたが、街全体の明るい雰囲気や人の温かさに触れて、大満足の滞在になりました。
体一つで言葉も通じない国に来ると、人の優しさや厚意をダイレクトに受け取る感じがします。
逆もしかりで、自分もまた、何の肩書もないただ一個の人間としての力量が問われると感じます。
飛行機の窓から、明けゆくザグレブの街を見下ろします。
どんどん小さくなっていく旧ユーゴスラビアの国々。
彼らがこの先、傷ついたり悲しい思いをせず、愛する人たちと末永く平和に暮らせますように。
寝ぼけ眼で上空から見る朝日は眩しく、ここに暮らす人々との一期一会の心の触れ合いと思い出を胸に、熱くなった目頭を閉じ、心地よい眠りに落ちていきました。
海外で飛行機欠航!/海外旅行保険の使い方【ボスニア・ヘルツェゴビナ⑤】
≪2014年冬 ボスニア・ヘルツェゴビナの記事です≫
ボスニア最終日の朝
↑ 宿の朝ごはんのクレープ
サラエボのハルバットゲストハウスは立地もサービスも満点でオススメできる宿です。
今日は朝から大雪
クロアチアのドゥブロブニクで知り合い、ここまで行動を共にしてきた韓国人のソンくんともここでお別れ。
彼はもう少しサラエボに滞在し、その後はセルビアと残りのバルカン半島を旅する予定。
私はこれからクロアチアの首都ザグレブへ移動し、帰路につきます。
途中ケンカもしましたが、ソンくんと一緒だったおかげで冒険ができたし、楽しい思い出がたくさんできました。
宿にタクシーを呼んでもらい、サラエボ空港に向かいます。
最初は不愛想に見えたタクシーのおじいちゃん。
私が車窓の写真を撮りまくっている姿を見てか、「ここはボスニアTV局だよ、戦争で爆破されたところ」とか、街の様子をたどたどしい英語で一生懸命伝えてくれました。
そしてやはり、あの戦争は一部の政治家が勝手に始めた戦争だった、おじいちゃんの奥さんも別の民族出身だけど、昔から仲良く暮らしてきたのに・・・と。
空港に到着。支払いをして、重いスーツケースを降ろしてもらいました。
「この国の人たちがこれからずっと平和で幸せに暮らせるように願っています」と伝えると、人のよさそうな顔でにっこり笑ってくれました。
無事チェックイン、出国、セキュリティをくぐり、お茶を飲みながらこれまでの写真を見返したり、旅日記を書いたりとくつろいでいました。
先発の便が大雪で遅延している様子を横目で眺めながら、普通に飛んでいる便もあるし、まぁ大丈夫だろうなんて思っていたのですが。
↓ この時はまだ平和な感じ
2度目の遅延アナウンスあたりから、なんだか雲行きが怪しくなってきました。
遅延する便が増えるにつれ、搭乗を待つ乗客で待合室がわさわさ混み合ってきました。
スマホの充電も心もとなくなってきたのであたりを見回していたら、コンセントに群がっていた地元の方っぽい若者たちが快く譲ってくれました。
そして、遅延に遅延を重ねた結果、最も恐れていた事態に‥‥
ザグレブ行き、欠航です。
他の便も続々欠航が決まり、どこかのエアラインのCAたちが「cancelled」の電光表示の前でにっこにこで記念撮影してる。
あんたら、日本ならクレームものだよ
新千歳(札幌)だったらそもそもこの程度の雪で欠航しないし・・・・
今晩から2泊を予定していたザグレブの宿に連絡を入れながら、パスポートの出国取消しをし、スーツケースを受け取って、便の振り替えをするためクロアチア航空のカウンターの長ーーい列に並び、ようやっと順番が回ってきて、ヘロヘロになりながらなんとか明日の夕方の便に振替処理をしました。
スーツケースをひきずりながら空港から出ると、もう日もとっぷり暮れていました。これからどうしよう・・・と肩を落としていると、とある大型ホテルのシャトルが停まっているのが目に入りました。駆け寄って聞くと、どうやら欠航に合わせ無料宿泊ができるという。すでにぎゅうぎゅうだったところ、交渉して無理やり乗せてもらうことに。
ホテルに到着。先着のお客さんでロビーがごったがえしています。フロントで事情を話し、チェックインを試みます。
レセプション「え?クロアチア航空?クロアチア航空のことは何も聞いてないよ。クロアチア航空のカウンターに行って聞いてきたら?」
どうやら無料宿泊は他の大手航空会社のサービスで、クロアチア航空は対応していないと。
外はもう真っ暗。重いスーツケース引きずってようやくここまで来た挙句、空港に戻ってまたさっきの長ーーい列に並べと???
冗談じゃない。
小憎らしいレセプションの男は、空室はあるので泊まるなら€50だという。
こんな安っぽくて古臭い田舎の団体客向けホテルに€50か・・・・しかし背に腹は代えられないし・・・・なんて思いを巡らせていた時、思い出したのです。
海外旅行保険の存在を!
↑ クロアチア航空の欠航証明書(certificate of flight cancellation)
翌日に空港のカウンターに行って発行してもらいました。
今回の旅行では海外旅行保険オプションの「航空機遅延費用(+50円くらい)」をたまたま付けていました。
帰国後、保険会社に電話して事情を説明し、送られてくる申請書類に記入し、欠航証明書やレシートを添付して送り返すと、審査の後、指定口座にお金を振り込んでくれます。
この時も、宿泊費のみならずこの日の食事代からザグレブの宿に連絡をした通話料金まで全額補償してもらえました。
ちなみに携帯料金は少し面倒なのですが、何度か国際通話して結構な金額になってしまったので、請求することにしました。キャリアに「通話記録」というのを発行してもらい、保険の申請書類に添付しました。
この他、スーツケースが壊れたときも、旅行帰りにインフルエンザになったときも問題なく補償してもらったので、かけておいて安心の海外旅行保険です。
自分は経験ありませんが、旅先で怪我したり、物を盗まれたり、何が起こるか分かりませんからね。
(海外旅行保険はいつも損保ジャパンを利用しています)
↑ 晩御飯はホテルのレストランでパスタ
さて、そこからは大船に乗った気分で€50払って宿泊を決め、ホテルで晩ご飯にありつき、明日はちゃんと飛びますように・・とお祈りしながら眠りにつきました。
翌朝
ホテル周辺を散策しています。
↑ 花火?
↑ 真ん中の「ポケット」は絶対アウトなやつ
思いのほか楽しくて満喫しました。観光地とは違ったサラエボ一般市民の生活が垣間見れて得した気分。
↑ 定刻15:30が18:45に
その日も3時間以上の原因不明の遅延はあったものの、ザグレブに無事到着。
予定していたザグレブでの時間は大幅に削られてしまったわけですが、それでも骨の髄まで楽しみ尽くしますよ~
転んでもタダでは起きないのがモットーですので!
(次回、ザグレブ編に続く)
↓ ボスニアのまとめ動画、あります。
↓ 他にもボスニアの記事、あります。
紛争下の強く美しい少女たち/サラエボ包囲【ボスニア・ヘルツェゴビナ④】
≪2014年冬 ボスニア・ヘルツェゴビナの記事です≫
↑ お昼ごはんはボスニアの煮込み料理。
せっかくここまで来たので、少しお勉強をしようと思います。
サラエボ中心部にある「ギャラリー11/07/95」には、1995年7月に勃発したスレブレニツァの虐殺やサラエボ包囲の当時の写真や映像が展示されています。
映像は英語もしくは英語字幕でしたが、外国人向けに分かりやすくしてあり、8割くらいは理解できました。
カラーのビデオに収められた近代の戦争の様子は、壮絶でした。
食料や水を確保するため、銃弾が飛び交う中、頭を庇いながら路地を走り抜ける住民の姿。
兵士と市民の泣き顔。遺族へのインタビュー。
落書きだらけ、ゴミだらけ、瓦礫だらけの路地裏の車の中で歌う少女たち。
過酷な状況下に置かれてもなお、強く美しく、逞しい。
まだ中学生かそこらの少女が、大人びた表情で遠くを見つめ「ここには何もない」と。
街角の「Welcome to Hell」の落書き。千切れて組織がむき出しになった脚。そこら中に転がる死体。道端に染み付いた血を水で洗い流す人々。
人間たちの、人間たちによる、人間くさい実録。それも、ほんの30年前かそこらの話。
「異なる民族も異教徒たちも、憎み合ってはいない。これは決して民族紛争ではない。
一部の愚かな政治家たちが始めた戦争だ」
これがすべてなのだと思います。
考えてみれば当たり前なのですが、戦時下とはいえ、市民の生活がたしかにそこにあり。今とさほど変わらない街を背景に、ありえない形になった死体が道端に重なり、ビルや電車が燃えてひしゃげて、放置されている。
途中、とても見ているのがしんどくて、それでも人間が犯した過ちから目を逸らしてはいけないと、なんとか最後まで見終えました。
この映像は、日本の戦争を知らない世代をはじめ、全人類が見るべきと感じました。
一方で、戦争の映像や写真を見ることは家に居ながらできても、実際にその地を踏んで、現地の空気を吸ってこそ、感じられることがある。
海外旅行は、大人の、最高に贅沢な社会見学だと思っています。
ボスニア・ヘルツェゴビナ最後の夜です。
↑ ソンくんとセビリ
そこでとあるトラブルに巻き込まれるのですが・・・・(次回に続く)
韓国人バックパッカーのソンくんとの出会いはこちら
サラエボ街歩き【ボスニア・ヘルツェゴビナ③】
≪2014年冬 ボスニア・ヘルツェゴビナの記事です≫
↑ セビリ(水汲み場)
バシュチャルシヤはサラエボ観光の中心で、オスマン帝国時代にアラブのスーク(市場)をモデルに設計された商業地区
↑ 昔のユダヤ人商人の様子
↑ シナゴーグ
付近には、ユダヤ教のシナゴーグもありました。
シナゴーグと聞くと、セックスアンドザシティのシャーロットが真っ先に浮かびます。
実際に入ったのは初めてでちょっと感動。
同じエリアに教会、イスラムのモスク、ユダヤのシナゴーグが共存しています。
よからぬ雰囲気の人に声を掛けられたりと、治安がものすごくいいという感じではなかったです。
アジア人顔が珍しいので悪目立ちしてるんですよね・・・
こんな時、サングラスをかけると顔が隠せて便利なのですが、この時は持ってきていませんでした(治安があまりよくない場所でのサングラスは、防犯的な意味でオススメです)。
少し郊外まで歩いてみます。
この大雪で、この後大変なことになります。
「永遠の炎」は1984年の冬季サラエボオリンピック以降、紛争時もその炎を絶やさなかったそうです。
右奥の派手な建物は大型ショッピングモール
近代的な建物と銃痕が残る建物が混在する様子がとても不思議な感じです。
サラエボのホリディイン(現:ホテルホリディ)は、紛争中も唯一営業を続けたホテルで、世界中のジャーナリストがここに滞在し、報道を続けました。
ロビーには、当時の様子を表現したと思われる絵が。
ホリディイン前のメインストリートは、通称スナイパー通りと呼ばれ、ここを通る動くものは無差別に銃撃されたと言います。
そんな背景を知っているからなのか、はたまた天気のせいなのか、この街を歩いていると精神が不安定になるというか、不安になってくるような感覚があります。
ちょうどこの辺りを撮影していたとき、付近のアメリカ政府の関係施設?のポリスと思しきライフルを構えた人が「No photo」と言って近づいてきました。
「写真消すから、ごめんね」と伝えると、無害な観光客と分かってくれたのかすぐ解放してくれました。
向こうもそう簡単に撃てるわけないと分かっていながらも、銃を持った姿が近づくとやっぱりドキっとしてしまいますね。
↑ いかにも社会主義っぽい建物
スナイパー通りの建物は、当時の銃痕を埋めたままの姿で現役
不安な気持ちになるとかいいながら、廃墟感漂うこの街の雰囲気にどこか高揚している自分がいます。
ロマン溢れる、斜面に家が建ち並ぶ風景ですが、紛争中はあの山からもスナイパーが市内の動くものを銃撃していたそうです。
サラエボは盆地で山に囲まれているため、これを「サラエボ包囲」と呼びました。
この左右対称な形、奇抜な色合い、どれを取っても独特(レゴっぽい?)
とっても治安が悪そうに見える一角
サラエボ事件の舞台となったラテン橋
ここでオーストリア皇太子がセルビア青年に射殺されたことが第一次世界大戦の引き金となったそうです。
次回に続きます。
他にもボスニアの記事を書いています ↓
業務スーパーのおすすめ輸入品あれこれ
海外に行けなくなってからというもの、業務スーパーに行くのが楽しみの一つになりました。
↑ ギリシャのスーパー
何かの拍子で見始めた節約系YouTuberさんたちに影響され、業務スーパーを活用できればエンゲル係数を減らせるのでは??というのもありまして。
実際、お得なのもあればそうでないのもあるものの、普通のスーパーで見かけないようなものもあって、飽きないんですよねぇ。
特に輸入品は、ジュピターとかで買うよりかなり良心的な価格帯。
そこで今回は、業務スーパーで買えるおすすめ輸入品をピックアップしてみようと思います!
★目次
1.ノグリラーメン(韓国)
↑ ノグリ(=タヌキ)が辛くて泣いちゃってます
これ、個人的に世界で一番美味しいインスタント麺なんじゃないかと思ってます。辛い魚介スープに、太めのモチモチちぢれ麺が贅沢な一品。四角く切った昆布が付いているのもポイント高しです。
お湯を沸かすときに、砂糖と醤油を各小さじ1ずつ忘れず加えてください。
ワカメや乾燥野菜を入れてもいいです。
で、麺の茹で上がり前にとき卵を加えると、辛さがちょうどいい具合にマイルドになって、なんというか、幸せの味になります。
汁を残すのがもったいなくて、大方飲み干すか、卵とご飯(替え玉)を加えてもう一杯という悪事を働いてしまいます。
この前、ヴィレヴァンで見かけたら300円近くしました。業スーなら100円しない値段で買えます。見かけたときはストック買い不可避です。
2.アリョンカビスケット(ロシア)
こちらはロシアの有名なチョコレート・アリョンカのクッキーです。
プレーンとチョコ味があって、どちらも美味しいです。私はチョコ派かな~
封を開けたときに、ほんのかすかにロシアの香りを感じます。
こちらも業スーで100円しないくらいで買えます。
ロシアのお菓子ってあまり美味しいイメージがないのですが、これはちゃんと美味しいので、日本人ウケするものを選んで輸入してるんだなぁと思います。
www.gyomusuper.jp
3.フレーバーコーヒー(ベトナム)
インスタントのフレーバーコーヒーです。「ベトナム直輸入」って書いてありますね。
3種類全部試した結果、青のココナッツが一番美味しいと思いました。
リモートワークの日は、温めたミルクでラテにして、ハチミツを入れて飲むのがお気に入り。お店で飲むラテの味がします!
4.フォレストクラッカー(ベトナム)
お次もベトナム、オニオン風味のクラッカー。中は個包装で、食べきりサイズになっています。
奥行きのある風味のクラッカーで、歯ごたえもよく、小腹が空いたときにちょうどいい感じです。
難点は、食べたあと自分の息がオニオン臭になること・・・・
一時期見かけなくなったものの、最近また売ってて嬉しいです。
ベトナムとは味覚があっているのでしょうか、美味しいものが多いですね~
5.オートフレーク(チェコ)
こちらはチェコ製のオートミールです。オートミールって昔アメリカで挑戦してとても食べられるものじゃないと思って避けていたんですが、イギリス在住YouTuberのChiakiさんが、朝ごはんにオートミールという動画を上げていたのに触発され、探していたところ業スーで安いのを見かけて買ってみたのが始まり。
オートミールは栄養価が高いだけでなく、ちょっと体重が増えたかも・・という時に、晩ご飯をこれに置き換えると戻ってくれるので重宝します。
そのままだと差し詰め鳥の餌なんですが(失礼)、ちゃんと調理すると美味しいんですよ!
オーバーナイトオートといって、前の夜にオートミールにアーモンドミルク(もしくは牛乳)を加えて、ミックスドライフルーツやジャム、ピーナッツバターやハチミツをかけたものを冷蔵庫で一晩。翌朝にはちょうどよく柔らかくなって美味しく食べられます。
水を適量加えてレンチンすればふやけるので、すぐ食べられます。
卵雑炊、オムライス、チャーハン等々・・・意外とアレンジも利くので、お米と置き換えるのもいいと思います。
6.安さの秘密は・・・??
他のお店では3倍くらいの値段がついている中、ここまで安いのはなぜなのか?
それは、業務スーパーを運営する神戸物産さんが、コンテナ単位のまとめ買いで各国と取引しているので、破格で売れるようになっているとのことです。
この他にも輸入品はいろいろ買っていますが、ほぼハズレなし。
海外に行かずともまっとうな価格で買えて、しかも日本人ウケのするものを選別してくれているという素晴らしさ・・・・
ありがとう、神戸物産さん!
ボスニアでドライブ日和/サラエボへ移動【ボスニア・ヘルツェゴビナ②】
≪2014年冬 ボスニア・ヘルツェゴビナの記事です≫
気持ちのいい朝
昨晩、暗がりで禍々しく見えていた廃墟たちも日の光が当たると心なしか爽やか
落書きがシャレオツ感を増している廃墟。中はどうなっているんだろう?
こんな西洋風の建物にも銃痕が残ります。
↑ ソンくんと仲良く写真を撮りまくっている様子が影になって写っていました。
ソンくんはソウルのユニクロでアルバイトをしていたことがあるそうです。時給はいいけど、常に笑顔で接客!とかルールが厳しくて大変だったみたいです。
日本が大好きで、日本に遊びに行くために友達と共同の銀行口座を作ってお金を貯めていると話していました。
こういうのを聞くと日本人として嬉しいし、誇らしくもあります。
政治と文化は、切り離して考えるべきだと思います。
どこに行ってもいい人もいればそうでない人もいるし、個々人がコミュニケーションを取る分には、ある程度までは歩み寄れると思っていて、そういう世界になればいいなぁと常々思っています。
↑ 吹いたら倒れそうなレンガ
↑ 車の形が社会社会主義っぽい(昭和風なだけ?)
宿のお父さんに送ってもらい、昨日と同じバスターミナルからサラエボ行きのバスに乗ります。ソンくんも一緒です。
お父さんはお母さんよりたどたどしい英語でしたが、戦争中の話など一生懸命聞かせてくれました。
今私たちが車で走っているメインストリートも、当時は死体がゴロゴロ転がり、野良犬がそれを食べていた。
友人も隣人も、瞬く間に犠牲になった。電気も水も食料もなかった。
今なお満足に仕事もないような国だけれど、でも自分たちは大丈夫。暖かい部屋でゆっくり眠ることができるのだから、と、人懐っこい笑顔で。
かつて彼ら一般市民たちは、民族も宗教も関係なく仲良く暮らしていた。ごく一部の愚かな政治家たちが始めた戦争であった、と。
めっちゃ傾いてる街灯
ごつごつした岩肌に鮮やかな水面が映えます。最高のドライブ日和です。
峠に差し掛かると、次第に雪景色に変わりました。
街に近づいてきました
社会主義っぽい建物のオンパレードに興奮しています
じゃじゃーん!見てくださいよこの形状。窓の感じ。香港の重慶マンションとかを思い出します。
バスの中で一人、舌なめずりをしています(変態)
こんな形の建物、建てるのも維持するのも大変そうですが・・・・
彼らが一体どこに向かおうとしているのか興味津々です。
建物の下半分は銃痕だらけ
この黄色い建物は、かの有名なサラエボのホリディイン
また別の日にじっくり訪れようと思います。
サラエボに到着しました。宿に荷物を置いて、街を散策します。
紛争の爪痕が残る歴史の街モスタル【ボスニア・ヘルツェゴビナ①】
≪2014年冬 ボスニア・ヘルツェゴビナの記事です≫
前回の記事で、モスタルのバスターミナルに到着した後の話です。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、1992年に旧ユーゴスラビアから独立してできた国です。
かつてのユーゴスラビアは、
・1つの国
・2つの文字:ラテン文字、キリル文字
・3つの宗教:カトリック、セルビア正教、イスラム教
・4つの言語:スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語
・5つの民族:スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、イスラム人
と表現されるようです。
これを聞くだけで、いかに複雑な事情がありそうか想像がつきますよね。
↑ ホテルの部屋からの風景
ボスニア・ヘルツェゴビナは、
古代・中世はローマ帝国の支配下に、
15世紀後半にはオスマン帝国支配下に、
19世紀後半には、オーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国の争いの舞台に、
と歴史の移り変わりとともに変遷していきました。
↑ パンション・ヴィラ・カルダックは家族経営のプチホテル
ご夫婦が温かく迎えてくれました。
こちらの人は本当に親切な人が多いです。多様な文化が共存している背景からなのでしょうか
ここモスタルは、かつてカトリック教徒とイスラム教徒が平和に共存していましたが、1990年代に勃発した旧ユーゴスラビア紛争により、民族が入り混じるこの街は血で血を洗う争いに巻き込まれていきます。
↑ スタリ・モスト
スタリ・モストとは「古い橋」という意味で、紛争中の1993年11月破壊されました。
今では、モスタルの平和の象徴として愛されています。
紛争の残酷さを忘れないようにと、橋のたもとにはこんな表示が。
胸にずしんと来るものがあります。
↑ 街のモスク
トルコランプやタイルなど、並んでいる土産物もイスラム色が強いです。
お墓だけでもいろんな形がありました。宗教で棲み分けされているのですね。
生々しい銃弾の跡が残る廃墟があちらこちらに
イスラムの街では、1日5回お祈りのアザーンが響き渡り、幻想的な雰囲気に包まれます。アザーンは「神は偉大なり」という句から始まり、それぞれのモスクから鳴り響きます。
明け方にアザーンで目覚める感じが堪らなく好きです。
食に関しては、固めのパンやチーズ、ハムといった保存がきくものが多く、味付けも濃いめの印象。新鮮な魚介類に恵まれたお隣のクロアチアとはガラッと雰囲気が変わりました。
写真手前の肉を細かく切ってケバブのように焼いたチェバプチチというのがこちらの郷土料理のようです。肉々しくて美味しかったです。
夜になりました。
スーパーはソーセージなどの加工肉が豊富。内陸っぽいです。
その辺の扉にもおびただしい数の銃痕が残ります。
夜の治安はあまりよくない感じでした。ソンくんが一緒じゃなければ部屋に戻っていたと思います。
クロアチアからこちらに移動してきて、どことなく空気が重いというか、街の暗さのようなものを感じるのは、紛争の面影があるからなのでしょうか?
↑ 地元の方が静かに過ごすカフェ
明日の朝もう少しモスタルを散策し、その後は首都サラエボに移動します。
クロアチアからボスニアに陸路移動【クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴビナ】
《2014年冬 クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴビナの記事です》
ドゥブロブニクのバスターミナルから、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ向かいます。
昨晩、ボスニアの写真を見せながら「次はここに渡る」とソンくんに話したところ、おめめをキラキラさせながら「オレも行きたい!」というので、一緒に移動することにしました。
↑ ソンくんと€2のキャンドル
この頃、クロアチアを調べるのにガイドブック(たしかaruco)を買ってペラペラ眺めていたら、「ドゥブロブニクから訪れるボスニア」みたいなページを見つけて、モスタルの風景に一瞬で釘付けに。
で、せっかくボスニアに行くなら・・・と思い、首都のサラエボにも寄ってみる行程にしました。
↑ バスチケットとおやつ
バスチケットは窓口に早めに行って買いました。
↑ 車内の様子。満席ではないもののまぁまぁの利用者がいました。
普通に綺麗で快適な高速バスです。
クロアチアの海岸線は、比較的裕福そうな風景が続いています。
ここで地図を見ていただきたいのですが、青が今回の行程、注目いただきたいのが赤の部分。
ボスニアとクロアチアはお隣同士の国ですが、豊かなアドリア海に面したボスニア領土の海岸線は、上記に示したとおりのほんの数ミリ・・残りはクロアチアが独占状態。
複雑な歴史背景によるものとは言え、極端すぎてなんともエグいです。
この環境の違いは、ボスニアに移動した後の現地の食文化にも顕著に表れていました。
途中のパーキングでトイレタイムです。
パーキングエリアでは、パンやケーキなどが売られていました。
パスポートが回収され、陸路国境も難なく越えました。
美しい海岸線の風景から、岩肌のゴツゴツした少し荒廃した風景へと、車窓の様子が徐々に変わってきます。
↑ cocktaはスロベニアの飲料メーカーから出ているコーラのような飲み物
変わりゆく車窓をぼんやりと眺めていたら、こうして遠い異国の地に自分の足で来れたこと、たくさんの景色や人との出会い、ひいてはそういうものに恵まれた自分の人生が、何にも代えがたく愛おしいものと感じました。
ちょうどこの頃、いろいろ我慢したり張りつめた日々が続いていたのですが、こうして感情のやりどころのようなものを与えてくれるのは、他の何でもなく旅なのでした。
旅先でぼーっとしていると、どうも感傷的になります。
そんなのも込みで、旅がやめられないわけですが・・・・
建てかけ?壊しかけ?の建物があちらこちらに
社会主義の国の建物は形が独特で興味深いです
中央の住宅の形や屋根の感じがとてもボスニアらしいと感じました
モスタルのバスターミナルに到着しました。
【英会話】宿に荷物を預ける/サインは漢字?アルファベット?
旅のひとこと英会話 Part 3
海外旅マスター厳選「とりあえずこれが言えればなんとかなる!」 ひとことやフレーズを紹介する企画。
今回は、ホテルでスーツケースを預かってもらう場面での会話です。
まず、チェックインはHelloと挨拶し、受付で
Check in, please.
でOKです。もし余裕があれば、
I have a reservation.
(予約しています)
と言ってもよいと思います。
ホテルの方から、
You have a reservation for 2 nights, right?
(2泊のご予約でお間違いないですか?)
のように泊数を確認されると思うので、聞き取りましょう。
その後はパスポートを出したり、前払いであれば支払いをしたり、館内の案内を受けたりします。
オーストラリア・メルボルンのドミトリーの様子
屋上にはこんな素敵なテラスがありました。夜になったら旅人たちが集うスペースになるのでしょうね
一方で、チェックアウトの時は、返却する鍵を受付に持っていき、
Check out, please.
で大丈夫です。
チェックイン前、チェックアウト後であっても、大きなスーツケースを持っての観光は大変なので、荷物を宿に預けたいと思います。
Could you keep my luggage until 4pm?
(午後4時まで荷物を預かっていただけますか?)
のように伝えて、お願いしましょう。
下線の戻り時間は、言っても言わなくても大丈夫な場合が多いと思います。
CanではなくCouldを使うことで、初対面の方に対しても丁寧なニュアンスになります。
また、baggageでもluggageでも意味はほぼ同じですが、ホテルや空港で聞くのはluggageの方が多い感じがします。
baggageはアメリカ英語寄り、luggageはイギリス英語寄りなのですね。
空港の「手荷物受取所」なんかはBaggage Claimですし、まぁどちらでも問題なく通じると思います。
ここからサインの話です。
まだ海外初心者だった頃、クレジットカードで宿泊代を支払い、「ここにサインして」と言われ、「漢字で?アルファベットで?」と迷ったことがあります。
その時はホテルの方に漢字か英語かと聞いてしまったのですが(ロンドンのホテルだった)、ホテルの方にYour sign. 「あなたのサインでいいのよ」と言われたのが印象的で、今でもそのシーンを覚えています。
結論は、どちらでもよいです。
パスポートの署名欄もそうですが、世界的に漢字が使える民族は限られることから漢字で書いた方が偽造されにくいという説もあれば、漢字文化圏以外の人には判別できなくなるので漢字は逆に危ないという説もあり、解釈は様々なようです。
自分の場合は、日本人であることや自分の本名を大切にしたい気持ちから、パスポートや現地で記入するサイン類などすべて漢字で統一しています。
漢字文化圏以外で漢字をスラスラ書いていると、現地の方がすごい!とかこんなの読めない!とか言って面白がってくれるので、それも楽しかったりします。
カナダでホームステイしていた頃、ルームメイトがドイツ人の女の子だったのですが、漢字は精巧な絵にしか見えないので、全然見分けがつかないと言っていました。
そんな漢字のみならず、ひらがなにカタカナ、なんならアルファベットまで普通に覚えて使いこなす我々日本人は、本当に優秀な民族だと思います(自画自賛?)
こちらもどうぞ!
世界ふれあい街歩き in ドゥブロブニク【クロアチア②】
≪2014年冬 クロアチアの記事です≫
ドゥブロブニク旧市街の街歩き詰め合わせです。
↑ 窓からわんこ
↑ 怖い人形
こんな感じの石段や石畳が続いています
↑ 遊具
↑ ニンジャ
教会から聖歌が聞こえてきます。
ホリデーでお店は閉まっていますが、その分観光客も少なく、写真撮り放題で嬉しいです。
見渡す限り石造りの風景。いつかの時代に迷い込んだ感覚になります。
街はずれには大砲が残っており、要塞都市だった様子が伺えます。
山の斜面に街があり、立体的な街並みが眺めます。
車もカラフルでかわいい。
立体的な街並みはある種のロマンだと思います。
↑ こういう洗濯物ってどうやって回収するんだろう?
石造りの家々から住民たちの生活音が聞こえます。
教会の鐘の音が聞こえてきます。街中の教会の鐘の音が一斉に鳴っているようで、360°全方向から鳴り響く様子は厳かでした
街にはにゃんこが至るところに
↑ ATMにゃんこ あったかいのかな?
こっちの猫はなんだか幸せそうです。
韓国人バックパッカーのソンくんと落ち合って、道連れディナーです。
(ソンくんとの出会いは前回の記事)
教会のキャンドルが幻想的
明日は、お隣の国・ボスニア・ヘルツェゴビナへ陸路移動します。
ドゥブロブニクの美しい街並み【クロアチア①】
≪2014年冬 クロアチアの記事です≫
↑ 出発の羽田空港
↑ フランクフルト空港
ドゥブロブニクへの道のりは遠い。
ドイツのフランクフルトを経由し、更にクロアチアの首都ザグレブを経由します。
ザグレブでの乗り継ぎ時間が45分しかないのがいろいろ不安だったのですが、たぶんみんなこの行程で行っているようなので、ここは思い切って
↑ クロアチア航空でもらったクッキー
ドゥブロブニク旧市街の形がとても綺麗に見えました。
飛行機からの景色ってワクワクしますよねぇ。
ちょうどこの時、テイラー・スイフトのShake It Offをエンドレスリピートで聴いて気分をアゲていたので、今でもShake It Offを聴くとこの景色を思い出します。
遅延やロストバゲッジもなく、無事ドゥブロブニクに到着しました。
今回はちょっと長旅。石段の道をスーツケースを引きずりながら、半ば道に迷いながらよいしょよいしょと進んでいたら、地元民と思しき若者たちが親切に手伝ってくれました。
空港着~街中に向かうまでのあれこれで街や国民の雰囲気が見えてくることが多いのですが、この時点でクロアチアにかなりの好感度です。
↑ 泊まった宿Celenga Apartmentは旧市街にあるプチホテル
広場の様子
おじいちゃんが楽器隊をガン見
旧市街を一望できるという城壁に登ります。
↑ 城壁
夕日に照らされた旧市街
ドゥブロブニクは、その美しさから「アドリア海の真珠」と呼ばれています。
魔女の宅急便のモデルになったとも言われるようです。
バスケットのコートもオレンジ屋根とおそろい
この「古城」という感じがとてもよいです。
街が城壁に囲まれている様子が見て取れます。
その日、人類は思い出した・・・・
こんな街で、立体起動装置で飛び回ってみたいなぁ
↓ 立体起動装置
引用:まとめ遅報
広場の様子がよく見えました
↑ シーフードパスタが美味
ここで先ほどの城壁で一緒になったアジア人の男の子と再会。
↑ ソンくんと猫
旅は道連れ。一緒に街を散策します。
コンズムはクロアチアの大手スーパー
クリスマスシーズン真っ只中のドゥブロブニクは、容赦なく閉店の嵐。
観光地なのに・・・というのはあくまで日本人の感覚。
ホリデーシーズンはしっかり休んで家族と過ごすのがこちらのスタンダードなのですね。
ホリデーシーズンの夜の住宅街は、パパのギターに子供たちの歌声、家族ではしゃぐ声が鳴り響いていました。なんとも平和でまったりした雰囲気に頬が緩みます。
西ヨーロッパなどでありがちなアジア人蔑視も感じないし、親切で朗らかな国民性を感じます。いい国ですねぇ、クロアチア。
奇跡的に開いていたイタリアンのお店で晩ご飯にします。
イタリア人のご主人が茶目っ気たっぷりで最高でした。