地球のどこかで会いましょう

旅について感じたまま綴ります。普通の人はまぁ行かないようなところに行ったりします。踏んだことない土を一つでも多く踏んで死にたい。通算40ヵ国くらい。サラリーマンは副業です。

サラエボ街歩き【ボスニア・ヘルツェゴビナ③】

≪2014年冬 ボスニア・ヘルツェゴビナの記事です≫

 

前回の記事モスタルからサラエボに到着した続きです。 

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↑ セビリ(水汲み場)

 

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バシュチャルシヤはサラエボ観光の中心で、オスマン帝国時代にアラブのスーク(市場)をモデルに設計された商業地区

 

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↑ 昔のユダヤ人商人の様子

 

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↑ シナゴーグ

 

付近には、ユダヤ教シナゴーグもありました。
シナゴーグと聞くと、セックスアンドザシティのシャーロットが真っ先に浮かびます。

実際に入ったのは初めてでちょっと感動。

 

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同じエリアに教会、イスラムのモスク、ユダヤシナゴーグが共存しています。

 

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よからぬ雰囲気の人に声を掛けられたりと、治安がものすごくいいという感じではなかったです。

アジア人顔が珍しいので悪目立ちしてるんですよね・・・

こんな時、サングラスをかけると顔が隠せて便利なのですが、この時は持ってきていませんでした(治安があまりよくない場所でのサングラスは、防犯的な意味でオススメです)。

 

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少し郊外まで歩いてみます。
この大雪で、この後大変なことになります。

 

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「永遠の炎」は1984年の冬季サラエボオリンピック以降、紛争時もその炎を絶やさなかったそうです。

 

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右奥の派手な建物は大型ショッピングモール

近代的な建物と銃痕が残る建物が混在する様子がとても不思議な感じです。

 

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サラエボのホリディイン(現:ホテルホリディ)は、紛争中も唯一営業を続けたホテルで、世界中のジャーナリストがここに滞在し、報道を続けました。

 

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ロビーには、当時の様子を表現したと思われる絵が。

 

ホリディイン前のメインストリートは、通称スナイパー通りと呼ばれ、ここを通る動くものは無差別に銃撃されたと言います。

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そんな背景を知っているからなのか、はたまた天気のせいなのか、この街を歩いていると精神が不安定になるというか、不安になってくるような感覚があります。

 

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ちょうどこの辺りを撮影していたとき、付近のアメリカ政府の関係施設?のポリスと思しきライフルを構えた人が「No photo」と言って近づいてきました。
「写真消すから、ごめんね」と伝えると、無害な観光客と分かってくれたのかすぐ解放してくれました。
向こうもそう簡単に撃てるわけないと分かっていながらも、銃を持った姿が近づくとやっぱりドキっとしてしまいますね。 

 

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↑ いかにも社会主義っぽい建物

 

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スナイパー通りの建物は、当時の銃痕を埋めたままの姿で現役

 

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不安な気持ちになるとかいいながら、廃墟感漂うこの街の雰囲気にどこか高揚している自分がいます。

 

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ロマン溢れる、斜面に家が建ち並ぶ風景ですが、紛争中はあの山からもスナイパーが市内の動くものを銃撃していたそうです。

サラエボは盆地で山に囲まれているため、これを「サラエボ包囲」と呼びました。

 

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この左右対称な形、奇抜な色合い、どれを取っても独特(レゴっぽい?)

 

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とっても治安が悪そうに見える一角

 

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 サラエボ事件の舞台となったラテン橋

ここでオーストリア皇太子がセルビア青年に射殺されたことが第一次世界大戦の引き金となったそうです。

 

次回に続きます。

 

 

他にもボスニアの記事を書いています ↓

sanatabi.hatenablog.com