紛争の爪痕が残る歴史の街モスタル【ボスニア・ヘルツェゴビナ①】
≪2014年冬 ボスニア・ヘルツェゴビナの記事です≫
前回の記事で、モスタルのバスターミナルに到着した後の話です。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、1992年に旧ユーゴスラビアから独立してできた国です。
かつてのユーゴスラビアは、
・1つの国
・2つの文字:ラテン文字、キリル文字
・3つの宗教:カトリック、セルビア正教、イスラム教
・4つの言語:スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語
・5つの民族:スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、イスラム人
と表現されるようです。
これを聞くだけで、いかに複雑な事情がありそうか想像がつきますよね。
↑ ホテルの部屋からの風景
ボスニア・ヘルツェゴビナは、
古代・中世はローマ帝国の支配下に、
15世紀後半にはオスマン帝国支配下に、
19世紀後半には、オーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国の争いの舞台に、
と歴史の移り変わりとともに変遷していきました。
↑ パンション・ヴィラ・カルダックは家族経営のプチホテル
ご夫婦が温かく迎えてくれました。
こちらの人は本当に親切な人が多いです。多様な文化が共存している背景からなのでしょうか
ここモスタルは、かつてカトリック教徒とイスラム教徒が平和に共存していましたが、1990年代に勃発した旧ユーゴスラビア紛争により、民族が入り混じるこの街は血で血を洗う争いに巻き込まれていきます。
↑ スタリ・モスト
スタリ・モストとは「古い橋」という意味で、紛争中の1993年11月破壊されました。
今では、モスタルの平和の象徴として愛されています。
紛争の残酷さを忘れないようにと、橋のたもとにはこんな表示が。
胸にずしんと来るものがあります。
↑ 街のモスク
トルコランプやタイルなど、並んでいる土産物もイスラム色が強いです。
お墓だけでもいろんな形がありました。宗教で棲み分けされているのですね。
生々しい銃弾の跡が残る廃墟があちらこちらに
イスラムの街では、1日5回お祈りのアザーンが響き渡り、幻想的な雰囲気に包まれます。アザーンは「神は偉大なり」という句から始まり、それぞれのモスクから鳴り響きます。
明け方にアザーンで目覚める感じが堪らなく好きです。
食に関しては、固めのパンやチーズ、ハムといった保存がきくものが多く、味付けも濃いめの印象。新鮮な魚介類に恵まれたお隣のクロアチアとはガラッと雰囲気が変わりました。
写真手前の肉を細かく切ってケバブのように焼いたチェバプチチというのがこちらの郷土料理のようです。肉々しくて美味しかったです。
夜になりました。
スーパーはソーセージなどの加工肉が豊富。内陸っぽいです。
その辺の扉にもおびただしい数の銃痕が残ります。
夜の治安はあまりよくない感じでした。ソンくんが一緒じゃなければ部屋に戻っていたと思います。
クロアチアからこちらに移動してきて、どことなく空気が重いというか、街の暗さのようなものを感じるのは、紛争の面影があるからなのでしょうか?
↑ 地元の方が静かに過ごすカフェ
明日の朝もう少しモスタルを散策し、その後は首都サラエボに移動します。