地球のどこかで会いましょう

旅について感じたまま綴ります。普通の人はまぁ行かないようなところに行ったりします。踏んだことない土を一つでも多く踏んで死にたい。通算40ヵ国くらい。サラリーマンは副業です。

人間そう簡単に変わらないよという話/インドの日常風景

中学生の頃、地理の地図帳を飽きもせず眺めていた。

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↑ モスクワで見かけた日本地図。北方領土がしっかりロシア色になっている。

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学校のお勉強はだいたい好きではなかったし、殊に社会科は全般赤点ギリギリだったが、地理の授業だけはわりと真面目に聞いていた記憶がある。

 

地図帳の裏表紙に載っていた、アフリカで主食とされるタロイモやキャッサバは一体どんな味がするのだろうとか、地球の裏側に思いをはせていたものだ。

あの頃は海外に行ったこともなく、興味があるという自覚すらなかったものだが、今思えばその片鱗がバリバリ顔を出していたんだなと・・・・

 

この年になっても、飛行機の窓から見下ろす地図の形くっきりの海岸線や、山脈のふもとに広がる市街地を見ると、それだけで心が躍る。

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↑ 下北半島がくっきり

 

国際線の機内消灯後、どこかの国の上空から、どこかの街の明かりが見える。こんなところにも、自分が知らない人々の生活や営みがある。そんなことをじんわりと実感し、なんだか不思議で幸せな気分になったりする。

 

f:id:sana_tabi:20211002221531j:plain↑ 白く輝くタージマハル

 

人間、そうそう本質が変わるものではない。

よく「インドに行ったら人生変わる」とか、「世界一周したら価値観変わる」とかいう人がいるが、自分の場合は全然そんなことはなく、帰ってきたらまた元の生活に戻っていくだけ。

変わったことと言えば、隣の部署の上司にインド行きがバレて「インド?バッパーなの??」と、より変人扱いされるようになったくらい・・・・笑

 

f:id:sana_tabi:20211002221551j:plain我々の感覚ではちょっと考えられないくらい汚すぎるインドの街並み。カースト制度において「ゴミを拾う」階層の人たちのためにゴミはその辺りに捨てられる。また、神聖とされている牛が道端のゴミを食べている光景が日常

f:id:sana_tabi:20211002221547j:plain150年前くらいから走ってそうなバス。インドでは、電車もバスも天井に乗客がいる風景がデフォルト

 

ただ、人生も価値観も自分の軸はそうそう変わらないけれど、価値観や考え方の幅と深さは確実に広がっていると感じる。

「日本人はもっと自由に生きていい」それは、一つの旅を終える度に感じること。

右ならえの同調圧力や空気を読むみたいな風潮は、狭い島国で生きながらえてきた民族として必要で、DNAレベルで刻み込まれているのを感じる一方で、互いの個性を尊重するとか、他人に干渉しすぎない、それぞれが自分らしく生きられるような風潮が、これからもっと広がればいいなと常々感じている。

 

↓ 日本人がもっと自由になるためにどうしたらいいのかを考えました。

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↓これまでの旅を振り返ったり、これからの旅について考えました。

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