地球のどこかで会いましょう

旅について感じたまま綴ります。普通の人はまぁ行かないようなところに行ったりします。踏んだことない土を一つでも多く踏んで死にたい。通算40ヵ国くらい。サラリーマンは副業です。

アラブの街歩きとジャスミン革命【チュニジア③】

≪2014年冬 チュニジアの記事です≫

 

街歩き詰め合わせです。

 

首都チュニス

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↑ 結婚式などのお祝いで使う飾りだったと思います

 

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↑ こちらは新郎新婦の車

 

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↑ これだけ並んでいると欲しいような気がしてくるひよこ

 

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中東のスーク(市場)の風景が味わい深いです

 

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チュニジアのご飯シリーズ ↓

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チュニジアは、地中海沿岸のヨーロピアンな文化と

北アフリカのアラブ圏文化が融合していると感じました。

食事もクセが強すぎず、どれも美味しくいただきました。

スイーツは、トルコで出てきた超絶激アマ系を想像して

一瞬身構えたのですが笑、上品な甘さで美味しかったです。

 

スーパーで買える「ハリッサ」という唐辛子ペーストは、

幅広く料理に使えるのでお土産にもオススメです。

 

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↑ チュニス中心部には、有刺鉄線が張り巡らされていました。

 ジャスミン革命のデモの名残なのでしょうか

 

こちらはチュニジア第三の都市・スース

スースの街並みは美しく、「サヘルの真珠」と呼ばれています。

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暮れなずむ異国の街

旧市街メディナのライトアップが雰囲気満点でした。

 

ローカルの現役世代から、ジャスミン革命の話を聞きました。

ジャスミン革命は、アラブの民主化運動・アラブの春

発端となった事件で、ここチュニジアで起こりました。

 

2010年チュニジアの地方都市における

露天商の青年の焼身自殺がトリガーとなり、

SNSであっという間に拡散され、

革命の動きはアラブ諸国に瞬く間に広がりました。

 

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↑ 地元の伝統的なカフェでチャイをすすります

 

元々、革命の火種はあったようです。

かつてのベン・アリ大統領による富や利権の独占、

特に若者層の失業率が3割と高い水準。

焼身自殺をした青年も、露天商をしながら

なんとか食いつないでいたところを、

販売許可の有無云々で役人に商売道具を没収され、

散々揉めた挙句に県庁前で自らに火をつけたということ。

 

チュニスでも大規模なデモが起こったこと。

その場に彼自身も居合わせて革命を訴えたこと。

「だから自分たちが、国を動かさなきゃいけない。

これから国を良くして、発展させていく義務がある」と。

 

遠い海の向こうで、リアルタイムで起こっていること。

激動の時代を生きている彼の表情や声色の生々しさ。

日本の大半の若者は、無関心で他人事の国や政治に対し、

彼らは全力で、今もなお命がけで戦っている。

 

これらは英語での会話でしたが、この時なぜか

自分はここでこの話を聞くために、この感情を知るために

これまで語学をやってきたんだ、と漠然と感じました。

 

激動のさなかにいる発展途中の国。

志ある若者がたくさんいて、良くも悪くも

今後ますます変遷していくのだと思います。

 

一方で、日本の「平和ボケ」は

果たして幸せなことなのでしょうか。

意見を言わない日本人。

そもそも考えることすらできないのかもしれない。

 

自分も例外なく不勉強だけれど、今の諸々の情勢を見る限り

無関心で居続けるべきでないことだけは確かです。

 

他国を見て自国を考える。

外から眺めることで、見えてくるものがたくさんあります。